もはや国際共通語としての英語学習は無視できない時代

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私たちが今学ぶべきなのは、
アメリカ英語でもイギリス英語でもなく、
"国際共通語"としての英語である。

 

私たちが英語を学びたいという動機は、
英語が国際共通語になりつつあるという現実に他ならない。

 

英語が話せれば、欧米以外にも多くの国の人々と
コミュニケーションをはかることができるからである。

 

英語がアメリカやイギリス、
あるいはその他のいくつかの国の言葉に過ぎなければ、
そうした国に興味のある人々だけが英語を学べばよい。

 

しかし現実はそうではない。

 

英語を母国語としない多くの国々でも、
今では多数の人々が英語を話すようになっている。

 

特にアジアの国々では、その数は近年飛躍的に増えている。

 

とりわけエリートの間では、その傾向は強い。

 

また、政治家もその多くは英語を話すようになっている。

 

かつては「英語を知っていてもわざと話さない」
と言われていたフランスの大統領でさえ、
今では国際会議の場で英語を話すようになっている。

 

英語を主な言語とするインターネットやCNN のニュースも、
世界中に急速に広がっている。

 

さらには国際宇宙ステーションで
使われている言語も英語である。

 

なので今私たちは、英語を話したいと考えている。

 

そのため、これまでは
文法や読むことが中心だった学校英語も、
早急に改善することが求められている。

 

 

 

 

英語の国際化に乗り遅れる日本

現在、かつての英語に関する合理的無知は
通用しなくなってきている。
(参照記事:英語を話すメリットとデメリット

 

英語を知らないこと、話せないこと(無知)は、
もはや合理的ではなくなりつつある。

 

にもかかわらず残念なことに、
日本は今のところ英語に関しては、
世界の流れから大きく取り残されてしまっている。

 

日本の政治家で、
いったい何人の人が英語を話せるだろうか。

 

サミットへ行っても、日本の首脳だけが、
いつも他の首脳たちと離れてひとり寂しそうに立っている。

 

 

また、日本人の心の中にはまだ、
英語を話すことに関する嫌悪感も根強く存在している。

 

小島信夫さんが芥川賞を受賞した
「アメリカンスクール」という小説は、
まだアメリカ軍の占領時代に日本の英語教師が
アメリカンスクールを見学に出かけたときの話であるが、
その中にはこんな一節がある。

 

「日本人が外人みたいに英語を話すなんて、バカな。
外人みたいに話せば外人になってしまう。
そんな恥ずかしいことが・・・」

彼は山田が会話する時の
身振りを思い出していたのだ。

「完全な外人の調子で話すのは恥だ。
不完全な調子で話すのも恥だ。
自分が不完全な調子で
話をさせられる立場になったら・・・」

彼は”グッドモーニング、エブリボディ”と
生徒に向かって思い切って2、3回は
授業の始めに言ったことはあった。

血がスーっと上ってその時本当に彼は
谷底へ落ちていくような気がしたのだ。

「おれが別の人間になってしまう。
おれはそれだけは嫌だ。」

 

こうした戦後の圧倒的な感覚が、
今の日本人の中にも
まだ根強く残っているのではないだろうか。

 

 

さらに日本人には、
「日本人が英語を話すようになると、美しい日本語や、
日本古来の文化が失われてしまうのではないか」
と言った危惧の念を抱いている人も少なくない。

 

英語の国際共通語化を、英語帝国主義と呼んで警戒したり、
排除したりしようとする動きも一部にはある。

 

しかしそれは、根拠のない不安や主張に過ぎない。

 

例えばオランダでもシンガポールでも多くの人々が、
自分たちの民族の言葉以外に英語を話しているが、
それによって彼らの言語なり文化なりが
失われたなどという話を聞いたことがない。

 

彼らはみな単に、コミュニケーション手段として
国際共通語である英語を利用しているに過ぎない。

 

だから私たちも心を開いて英語を話して、
世界の輪の中へ入っていけばよいのだ。

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カテゴリ:エッセイ 

管理人

profile

英会話力向上を目的とした
英語学習を、人生のライフスタイルの
一貫として研究している。
自らも年に数回、
海外へ出かけることで、
英会話力を向上させている。
趣味は海外旅行、外国人との
国際コミュニケーションなど。


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